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いま時代が手の中に

櫻井翔さんと嵐を応援するブログ

こたつでぬくぬくしながらみかん食べててほしい

以前知り合いから「彼は守られてるからいいよね」というようなことを言われたことがある。
その時は適当に流したけど、後日ネット上でも同様の意見を見つけてしまってそれなりにショックを受けた。
「俺がやらかすとまたいろいろ書かれちゃうけど」という旨の発言があったらしい。
私はその場にいなかったし参加した友人知人から聞いたわけでもないので、それがどんなトーンで発せられた言葉だったのかわからないし、自分の目で見ていないものを憶測だとしてもベラベラ語るべきじゃないというのはわかっているけども。
ましてや別々の事象を結び付けて考えるなんて勝手極まりないけど。
それでもなんとなくその2つは私の中で線で繋がってしまって、ちょっと寂しくなった。
なんでそんなこと言うの!ひどい!という怒りよりは、知らない間に線引きされていて、あなたは向こう側でしょう、と言われてしまったような虚しさというか。どちらにせよ、誰目線?何様?って話だけど。

いろいろなものを背負っていて、それでもそれをすっぽり隠して綺麗に見えるように整えてステージに立ってくれているっていうのに私というオタクはなんでこうもその裏側を勝手に覗いた気になって余計なことばっかり考えちゃうんだろう。
と思うけど、それは結局彼らのことが大好きだからで
大好きなのは綺麗な姿そのものだけじゃなくて、綺麗に整えていくその過程まで含めて好きなわけで
だからこそその裏側を非道な手段で暴こうとする人間が嫌いで
でもそうやって得られた情報から少しも何かを受け取っていないのかと言ったらそれは嘘になる。
嘘になるけど、無くなってくれていい。安心できる場所がこれ以上奪われませんように。

綺麗な部分、表の部分だけじゃなくて裏側を知ることはやっぱり優越感をもたらすんだろうか。すべてを知っている的な?
貶し愛とかいう私がこの世で最も嫌いな応援文化も結局「アタシ(ボク)はここまで知っているのだ」「貶せちゃうくらい余裕があるのだ」
ていう自尊心と自己顕示欲と自己満足と優越感とマウンティング欲(?)とかを満たすんだろうな。本当に嫌いだ。
なんなら初めから嫌いですアンチですだから貶しますとかのほうがまだ受け入れられる。
文句を言うのは勝手だけどそれを「自分なりの愛」とかいう言い訳に包まれると腹が立つ。

応援の仕方は人それぞれだから別にここで何を言ってもいいってことで引き続き自担の幸せを願っていこう。